aquapastelの自分語り

自分について、そして自分の思うことに関して書いていくブログ。前に書いていた第三者視点から一新してなるべく一人称視点で書こうと考えています。

明日は我が身、と思って「新型ひきこもり」に関する本を読みました

前回の記事からまた1週間も間が空いてしまいました。ここ最近動画制作熱が再燃したのもあってそっちに傾いていたのもあるのですが、できればブログも定期的に更新していきたい物です...

さて先日、amazonを漁っていたらこのような本を見つけました。

www.amazon.co.jp

新型ひきこもり、という聞き慣れない言葉が出てきましたが、この本の定義では

 いま、学校にも行かず、働きもせず、好きな時間に寝て起きて食事をして、ネットゲームや動画鑑賞など好き勝手なことばかりしている人が大勢います。
いわゆる、ひきこもりやニートと呼ばれる人たちですが、そんな人たちの中に親が生活を改めさせようと注意すると
『いまの生活ができないなら死ぬ』
『もう人生はあきらめているから、いつ死んでもいいんだ』
と、自殺をちらつかせて自分の要求をとおす人が増えてきました。

本書では、このような手段を使ってくるもののうち本気で死んでもいいと考えているケースを【新型ひきこもり】、本当は死にたくないが好き勝手な生活を手に入れるための交渉材料として自分の命を盾にとっているケースを【旧型ひきこもり】として、両者のちがいをあげながら、それぞれの特徴や見分け方、対処法までをくわしく解説しています。

 あまり大きな声で言うことでもないのですが、個人的にもし自分がひきこもりになったらこの新型ひきこもりのように「30歳くらい、いや25歳くらいで人生が終わっても良いから絶対に社会に出ないでお金が無くなるまでゲームとかにつぎ込んで遊び続けるんだろうな」と思っていたので、この本が他人事のように思えず、またKindle Unlimitedの対象に入っていたので読みました。

まだ刊行されてから半年も経っておらず、レビューもまだないような本でしたが、この新型ひきこもりを中心にあらゆるタイプのひきこもりに対する対策が細かく書かれていました。基本的には親の愛情を今一度改めて子供に与えつつ、カウンセラーなどの助けも借りて自立を促す、というものが一般的でしたが、発達障害精神疾患を患っている場合はそれに応じてやり方を変える、という書き方がなされていました。

読んだ感想としては読んで良かったな、という感じです。勿論この本の全ての記述に頷けるわけでなく、例えば「パソコンやスマホから発する電磁波がうつや胎児の発達障害の原因になっている」などは個人的には首を傾げる記述でしたが、新型ひきこもりのみならずひきこもりの子供を持つ親が状況打破の一歩として読む本としては悪くなかったと思います。

それから、個人的に将来自分がひきこもったらこのようになるかもしれない、と思って読んだ私のように、「自分がひきこもり気味、もしくは既にひきこもっている」ような人も読む価値は十分にあると思います。この本はひきこもりの子供を持つ親向けに書かれた本ですが、当事者が読んでも十分に自立の手助けになると思います。この本にはひきこもりになる原因(親からの愛情不足が主な原因、とこの本では書かれていますが、他にもインターネットで今の時代はあらゆる欲を叶えることが出来るようになり、外に出てまで欲を満たす必要がなくなったのがひきこもりとなる原因、という記述もある)なども書かれており、今の自分は何故引きこもっているのか分からない、どうしたらもっと自立しようという気になれるのか分からない、という人もこのような本を読むことによって、今の自分がこうなった原因は何なのか、今の自分には何が必要なのか、ということが分かりやすくなると思うので、ひきこもっている状況を苦しいと感じている方はこのような本を読むこともおすすめします。

いつでも自分は誰かの一歩先にいて、その誰かに対して最も役に立てると気付いた

昨日の話(お金を稼ぐのではなく信用を稼いで生きるというような話)からは少しズレてしまうのですが、とりあえず今の私は今自分の思ったこと、興味のあることを題材にしてブログを書くことを心掛けているので、今の自分の気持ちに合わせて話題を変えます。

さて、人間にとってある様々な欲求の中で、現代の人間が最も満たされておらず苦しんでいるものの代表格が承認欲求(誰かに認められたい、必要とされたい、役に立ちたい)であると私は考えています。というか私が最も満たされて折らず苦しんでいるものの代表格が承認欲求です。現在の私は大学の長期休暇中なのですが、バイトにもサークルにも所属しておらずボランティアなども特にやっていないため家族以外には全く誰にも接する機会がありません。その家族も手伝えることが殆どないため(自分が何か手伝いたいと言えば手伝えることもあるのかもしれませんが)現在の私は認めてくれる人もおらず、必要としている人もおらず、誰の役にも立っていない、という状況にあります。

承認欲求が満たされていないと、「自分は誰の役にも立てない」という無力感や「社会に自分の居場所はない、自分がいなくても社会は成り立つ」というような孤独感を生むことになり、更にそれらの無力感や孤独感は連鎖して更なる不安を呼び起こすこともあります。例えば「自分は誰の役にも立てない」が始まりとすれば、そこから「誰の役にも立てないなら働くことも出来ないのではないか」「働くことも出来ないならお金を稼げないのではないか」「お金を稼げないならどうやって生活していけばいいのか」というように、将来の不安に繋がる可能性もあります(というか実際今の私は繋がりました)。

では、どうすれば誰かの役に立つことが出来るのか?その答えを見つけるために調べたところ、承認欲求を満たすためにはまず自分という存在を他人に知ってもらい、その他人の中に自分が役に立てる人がいることを見つけることが第一だと分かりました。これに関しては現在ブログを書いているので、これはまず一応クリアと言っていいと思います。

しかし次の段階の、「自分が役に立てる人、自分を必要としている人は誰なのか?」は大事ですが、難しい段階だと思っていました。例えば今の私がプログラミングで誰かの役に立ちたいと思っても、私はプログラミングで何かを作った実績などもありませんし、私より品質の良い製作物を作れるプログラマーは数多くいることを考えると、今の私がプログラミングで誰かの役に立つことは難しいと考えられます。

よってまずこの問いの答えの最初の段階は、「今の自分には何があるのか、何が出来るのかを客観的に自己分析すること」。これは思いつく人が多いとは思うのですが、承認欲求に関する悩みについて調べて成程と思ったのはその次の段階で、「今の自分はいつも誰かの一歩先にいて、その誰かに対して最も役に立てる」というものでした。例えば「会社で働いている」というだけでも、「これから会社で働く就活生や大学生」の一歩先にいるので、就活のコツや就職する際に重視すべき会社の特徴など、そういった情報を発信して役に立つことが出来ます。私の場合なら「大学生である」ので、「大学受験を控えた高校生」の一歩先にいるのでそういった受験のコツを発信したりして役に立つことも出来ます。だからこそ、今の自分に何ができるのかを分析して、そしてそれが出来ると言うことは誰の一歩先にいるのかを知ることが重要になるのだと思います。

 

また私の場合だと、「今どうやってお金を稼いだら良いのか分からず悩んでいる」「今どうやって承認欲求を満たしたら良いのか分からず悩んでいる」という状況にもあります。悩みや問題を解決しているのなら、その悩みを解決していない人の一歩先にいる、と分かりやすい状況にあり、その人達に向けて情報発信が出来るのですが、まだ悩みを解決出来ていない状況だと誰の役にも立てないのではないか、と思う人もいるかと思います。しかし、現在自分が何で悩んでいるのかが分かっているのなら、「今や将来に対して漠然とした不安を抱えているけど、それが何で悩んでいるから起きた不安なのか分からない」という人達の一歩先にいて、その人達に自分のケースを合わせて「もしかして貴方の不安はこういった悩みから起きているのではありませんか?」と伝えて気付きを与えることもできる、ということも出来るのではないかと思いました。

そして一番自分が役に立てるのが自分の一歩手前にいる人達なら、自分の悩みに一番役に立てる人達の意見は自分の一歩先にいる人達でもあるわけで、例えば今の自分のように「お金を稼ぎたいけど、自分には働いた経験もないし働く自信もないからどうしたらいいのか分からない」という人なら、ブログやアフィリエイト、youtuberで月収100万以上を達成した!というような人の意見を参考にするより、まずはニートや引きこもりで1年間程無職だったけど、単発でバイトをして日に1万円稼いだ、ブログで月に1000円稼いだ、というような小さくても自分より確実に成功した、と言えるような人達の意見を参考にする方が、自分の抱えている問題解決に役に立つのではないか、と思いました。

欲しいものはあるのにバイトをしたことも1円も稼いだこともない

まず最初に、私には欲しいものが沢山あります。例えば、

・ゲームの実況や生配信をするための機材(キャプチャーボードやマイクなど)

・ゲームをするための超高性能ゲーミングPC

・最新調理家電(ヘルシオやホットクックなど)

また物とはちょっと違うのですが、

・一人暮らしの権利(現在実家暮らし)

も欲しいと思っています。何故一人暮らしをしたいかの理由を書くとそっちが本分になってしまうので、ここでは割愛します。

 

ただまぁ、これらの物を買うために問題になるのがやはり「お金が無いこと」なんですよね...ただ具体的に言うと、お金が無い、というより「お金を稼ぐ手段も自信もないこと」が本質的な問題になるかな、といった感じです。

 

まず私は大学3年生ですが、今までの人生で一度もバイトをしてお金を稼いだ経験がありません。これは単発も短期も含めて、です。大学生なら上のように欲しいものがあれば、普通はコンビニなり居酒屋なりでバイトをして自分でお金を稼いで買うものだと私は思っていますし、多くの人もそう思っていると思います。

では何故私はバイトをしないのか?というと、やはりその最たる理由は「働くのが怖いから」だと思います。バイトとなると専門的な知識は求められないとは思うのですが、コンビニや居酒屋など接客業のバイトだと「コミュ力や愛想が必要になるけど自分にはそんな自信がない、後変な客とかに絡まれたりしたらちゃんと対応できる自信がないし、それで怒られたりしたら引き摺って明日からバイトに行けなくなりそう」と思ってしまいましたし、かといって工場やピッキングのバイトだと「コミュ力とかはいらないだろうけど体力がいりそう、自分には体力がないから絶対辛いだろうし、単純作業になるから途中で飽きて苦痛になりそう」みたいに思ってしまい、結局何のバイトも出来ずじまいなまま3年が過ぎてしまいました。

要するに、「お金を稼ぐのに必要なだけの体力やコミュ力と言った能力が自分にはあると思えないから、自分の力でお金になるだけの仕事をする自信がない」ということなんだと思います。ちなみに私は現在大学では理系を選んでおり、更に大学院まで行ってより深く知識を身につけてから就職しようと考えています。就職も勿論その大学院で学んだことを活かせるような業種に就職しようと考えているので、その時なら多分「大学、大学院と企業で働くのに役に立つ知識と経験を身につけてきたから、ちゃんと給料に見合った働きが出来るはずだ」と思えると思うのですが...

 

またバイトをしなかった他の理由として、私が正しいと思っている価値観の中に「バイトは時間を売ってお金を稼いでいるだけで何のスキルも身につかない行為である」というようなものがあることも一つの理由としてあります。これは割とブロガーやyoutuberなど普通の働き方をしていない人達を調べていく中でよく聞いて、私もこれを確かに、と思ってこの3年間はバイトをせずブログを書いたりプログラミングをやったりしてライティングやマーケティング、プログラミングの技術を身につけずお金を稼いだ方がスキルも身について将来のためになる、と行動してきたのですが、結局それで1円も稼げたことはありませんでしたし、スキルも正直身についたとは思えませんでした...

 

結論として、自分の力でお金を稼げないなら、親に頼ってお金を貰い、そのお金で買いたい物を買う、というのも一つの手だと思いました。このあたりの考え方には思うところがある人もいるかもしれませんが、どうしてもバイトをするための心理的なハードルを自分には乗り越えられることがとても出来ず、だからといってブログやプログラミングといった稼ぎ方を使っても1円も稼ぐことが出来ないのであれば、もう親に頼むしかない、ということになると思います。(ちなみにそのようなことを頼める友達はいません)

このような考え方に至った理由として、最近になって「お金を稼ぐ代わりに、信用を稼いで生きている人」の話をよく聞いた、というのもあるのですが、今回は記事を書く体力がもうないのでここまでにします。

アニメやゲームを楽しめなくなった理由は私の場合「将来に不安があるから」だと思う話

先日からゲームはもう誰かとコミュニケーションをとる手段で無いと楽しめない、一人でゲームをやる時間など余程の事情が無い限り時間の無駄、と言っていましたが、アニメや特撮に関しても最近同じようなことが言えるようになってきました。

何というかもう、アニメや特撮は楽しんでみていたはずなのに、最近は見るのが面倒なのです。勿論例外もあって、例えば特撮だと「仮面ライダークウガ」は今回の配信が初見でしっかり作り込まれたドラマを見るのが楽しみで週1回の楽しみになっていますし、アニメも最近になって「新世紀エヴァンゲリオン」を先日新エヴァが地上波で放送されたのを機に、1年以上スローペースで録画したのを見ていたのを一気見しました。感想としてはやはり名作と呼ばれるだけの価値はあるな、という話で面白かったです。またエヴァの後は、最初の数話を録画し忘れた、というだけでずっと録画だけしておいたNHKで放送中の「SHIROBAKO」を昨日やっと見始めたのですが、これもアニメ業界の深い事情などを面白くアニメ化しており、何故今まで見ていなかったのだろう、と思うと同時に一気見できる今の状況を良くも思っています。

ただしその他のアニメや特撮に関しては、もう正直見るのが面倒、というか苦痛な作品も多く、ただ「今回の配信を見逃すと次いつ見られるか分からないから...」というだけで、知名度がマイナー、もしくは配信時期が稀少なだけで面白いとも思わない作品も何個かあります。そういった作品は録画しっぱなしな作品は多分この先もずっと見ないような気がしますし、配信時期が土曜の10時まで、みたいに期間が設定されている作品は、もはやその配信期限が大学の課題の提出期限と同じように思えて、「この時間までに見なきゃ...」というような義務感に駆られながら見ている節があります。

義務感に駆られて見ている時点でそれは最早趣味では無いので、見るのをやめてしまえば良いのですが、そうは言ってもこの機会を逃したら次いつ見られるか...という作品が多いのも事実。「見る価値は(少なくとも自分にとっては)殆ど無いから無料で見られる内に見てしまいたいのだけれど無料で見られるのは今だけで、でも今はもっと価値のあることをしたい」というなかなか複雑なジレンマに陥ってしまっています。前はゲームを見ながらそういったアニメや特撮を片手間で消化(例えばAPEXやりながら特撮消化)とかしていましたが、今はそのゲームにも殆どやる価値が感じられませんし...何かをやりながらながら見、という手段もありますが、そういったマルチタスクはお互いの効率を著しく下げてしまいますし、できれば避けたい、と思っています。

そもそもアニメやゲームを「時間の無駄にしかならないもの」としてやることに忌避感を覚え始めたのは、やはり「将来への不安を強く感じ始めたから」だと思います。今こんなアニメやゲームばかりしていたら、数年後も今と全く変わらない生活を送るんじゃないか、今はこんなに色々なことに頑張れる時間があるのに、それをただ時間を無駄にするようなことだけに使ってて良いのか、もしかしたら仕事をするようになったら、仕事で全ての体力を使い切ってもう休みは本を読んだり何かを書くようなことすら出来なくなるかもしれないのに、と。それを考えてしまったら、「今この時間1秒1秒を出来る限り有意義に過ごすこと」が第一になってしまって、そう考えると本を読んだり、何かを書いたりして自分の能力を高めることが自分の中では最優先になります。そしてアニメやゲームの殆どは時間だけ喰って何も生み出さない無駄なものになり、それをすることは楽しいどころか、時間の無駄と思って逆にストレスにすらなります。しかしアニメの中には期間限定でないと無料で見られないものもあり、そう考えるとそういうアニメが、面白くないけど今見なきゃ、という大学の課題と同じような土俵に立ってしまうのも納得です。アニメとはちょっと違いますが、ほしいけど絶対やりたいわけでもない、くらいのゲームがセールの時に買ってしまうのも同じようなものなんだろうな、と。

 

早いもので2月ももう半分が過ぎてしまい、前半をほとんどアニメ消化や特撮消化に費やしてきたと考えているのですが、これからは気持ちを改めて見たくない作品は見ない!と切り捨てて、自分が心から面白いと思える作品だけを見ていきたいです。そして無駄な時間を捨てて出来た時間で、自分の能力を高めること(読書、ブログ執筆などのアウトプット、筋トレ)をやって毎日を有意義に過ごしたいな、と思っています。

 

 

自称ではありますが自分には精神障害っぽい気質があるな、と思ったので今後のためにメモしておきます

書きたいことを全てタイトルに書き込んだらタイトルが少し長くなってしまいました、すみません(^^;

さて、私は今まで心療内科や精神科に通ったことはなく、そのため健常者として今も生きています。特に人生の全てが壊れる程の大きな失敗をしたこともなく、うまくいかないことはあれど何とか普通の日常を生きてきました。

しかしその「うまくいかなかったとき」に、自分の何がダメだったのだろうか、と考えてネットなどで検索して、自分の性格に合うような精神障害を見つけたときに「自分はこの精神障害を持っているから失敗したのではないか」と考えるようなことも多々ありました。結局何だかんだと時間が経つうちに気持ちも落ち着くので、そのような時に病院に行ったことが一度もなかった訳ですが、今回は自分の性格やこれまでの経験と、それに近い精神障害についてメモしておこうと思います。

メモしておくことで、「自分はどのような精神障害を持っている可能性があるのだろうか?」「その精神障害とうまく付き合っていったり、治すにはどうすればよいのだろうか?」という問題への足掛かりになると思ったので今回の記事を書こうと思いました。またその精神障害に関連した本を読んで、自分なりの対処法をまた記事として書ければいいな、と思った所存です。

それでは、私と関連があるかもしれない精神障害について列挙していきます。

※基本的に障害の説明に関しては、厚生労働省メンタルヘルス専門のページで紹介されている説明を引用しています。

強迫性障害

強迫性障害では、自分でもつまらないことだとわかっていても、そのことが頭から離れない、わかっていながら何度も同じ確認をくりかえしてしまうことで、日常生活にも影響が出てきます。意志に反して頭に浮かんでしまって払いのけられない考えを強迫観念、ある行為をしないでいられないことを強迫行為といいます。たとえば、不潔に思えて過剰に手を洗う、戸締りなどを何度も確認せずにはいられないといったことがあります。

強迫性障害のページでは代表的な強迫行為や強迫観念の例も挙げられていたのですが、自分の場合「不潔恐怖と洗浄」「加害恐怖」「確認行為」が当てはまるな、と思いました。

  • 不潔恐怖と洗浄
    汚れや細菌汚染の恐怖から過剰に手洗い、入浴、洗濯をくりかえすドアノブや手すりなど不潔だと感じるものを恐れて、さわれない。
  • 加害恐怖
    誰かに危害を加えたかもしれないという不安がこころを離れず、新聞やテレビに事件・事故として出ていないか確認したり、警察や周囲の人に確認する。
  • 確認行為
    戸締まり、ガス栓、電気器具のスイッチを過剰に確認する(何度も確認する、じっと見張る、指差し確認する、手でさわって確認するなど)。

「不潔恐怖と洗浄」に関してはコロナ禍に入ってから気にするようになったのですが、買い物から帰ってきたり、大学から帰ってきた時にまず手を洗うのですが、その後買ってきたものや大学で触った教科書やプリントを触った後にも「これらにも細菌が付いているかもしれない」と思って手を洗うようになりました。また手を洗う際も、蛇口から水を出すときは手のひらがレバーに触れないように肘でレバーを下げて水を出したり、ハンドソープの泡を出す時もポンプヘッドは手を使わないとうまく押せないので手を水で洗った後押すのですが、手をハンドソープで洗った後ポンプヘッドにも泡を付けて水で洗ったり...とするようになりました。また外へスマホを持っていって触った時は、帰ってきてから画面を中心に全体を除菌シートで拭くようになりました。

「加害恐怖」に関しては例に挙げられているほど大袈裟ではないのですが、現実でもネットでも人とやり取りをした時に「あの時言った言葉で相手を傷つけてしまわなかっただろうか...」ということになることが時々あります。実際高校時代に2回ほど友達に対して前に言ったことを謝罪して、別に気にしてないよ、と言われた経験があります。

またこれとはまた違いますが、ふと外で独り言を言った時に、それが例えば「あの時のテストはダメだったなあ」だったとしたら、周りに人がいたりした時に「今あの人に僕が「ダメだったなあ」って言った部分だけを聞かれて僕があの人の悪口を言ったみたいになったりしなかっただろうか...?それで相手が傷ついたりしてないだろうか...?」というようなことになることもあります。

「確認行為」に関しては、大学を出る前に今日授業で使う教科書やノートが入っているかどうか、家を出た後でも不安になってリュックサックの中を見て確認したりするくらいですが、それでも強迫性障害の気質に当てはまるかな、とは思います。

PTSD

PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)は、強烈なショック体験、強い精神的ストレスが、こころのダメージとなって、時間がたってからも、その経験に対して強い恐怖を感じるものです。震災などの自然災害、火事、事故、暴力や犯罪被害などが原因になるといわれています。

私の場合、災害や事故などの命に関わるほどのことではありませんが、過去に失敗した経験やいじめられた時、親に怒られた時などの辛かった記憶がフラッシュバックすることがあります。これはPTSDの症状の一つです。

事件や事故のことなどすっかり忘れたつもりでいても、ふとした時に、つらい体験の時に味わった感情がよみがえります。
それは恐怖だけでなく、苦痛、怒り、哀しみ、無力感などいろいろな感情が混じった記憶です。

周りからみると、何もないのに突然感情が不安定になり、取り乱したり涙ぐんだり怒ったりするので、理解に苦しむことになります。
その事件や事故を、もう一度体験しているように生々しく思い出されることもあります。また、同じ悪夢を繰り返し見ることもPTSDによくある症状です。

時折何かがトリガーになって(過去の記憶を想起させるものを目にした、など)フラッシュバックが起きます。その時は苦しいとまでは言いませんが、少し嫌な気持ちにはなります。

子供の頃からよくテレビやネットで怖い画像や自分にとって悪い意味で印象に残る画像を見てしまうと、それが脳裏に焼き付いて頭から離れなくなり、怖くて恐怖に支配されて布団の中で不安でいっぱいになりながら寝る、というようなことが何度もありました。子供の頃は大きくなったらそういうことも怖くなくなるのかな、と思っていましたが、そういったことは実際少なくなった代わりに、前述したような現実的な怖さや不安に悩まされるようになった気がします。どちらが辛いか、と言われると一概には言えないのですが、酷いときは一方の恐怖にもう一方の恐怖をぶつけて相殺しようとしたことすらあります(^^;(例えば学校で失敗してしまった日にその失敗経験が頭から離れない時は、怖い画像を思い出して怖さの視点をずらす、など)

発達障害

発達障害はいくつかのタイプに分類されており、自閉症アスペルガー症候群、注意欠如・多動性障害(ADHD)、学習障害、チック障害、吃音(症)などが含まれます。
これらは、生まれつき脳の一部の機能に障害があるという点が共通しています。同じ人に、いくつかのタイプの発達障害があることも珍しくなく、そのため、同じ障害がある人同士でもまったく似ていないように見えることがあります。個人差がとても大きいという点が、「発達障害」の特徴といえるかもしれません。

私の場合はそこまで気にするほどでもないのですが、ゲームなどに熱中していると、家族が話しかけてきても目の前のゲームを第一にして家族への対応をおざなりにしてしまうことがあります。他にもネットサーフィンなど、興味のあることへの集中力は高いと思います。所謂「過集中」の気がある、と何となく実感はしており、過集中はアスペルガー症候群ADHDの症状ではあるのですが、過集中以外のアスペルガー症候群の症状(規則正しく何でも揃っていないと気が済まない)はほぼ当てはまりませんし、ADHD(じっとしていられない、衝動的な行動が多い)も当てはまる節は少しありますが悩むほどではないです。そもそも過集中自体もそこまで生活に支障をきたしていないので、発達障害の線は薄いと思います。ちなみに発達障害は生まれつきの先天的な障害であり、後天的に環境や経験などを経てこのような性格になった場合は別の「パーソナリティ障害」という分類に当たるそうです。

またこの他、HSP(Highly Sensitive Personという繊細・内向的な性格を表す概念も自分に当てはまっていると思ってはいるのですが、これは実際に気質の一種であって精神障害とはまた異なるので、これに関してはまた別の機会に触れます。

もし精神科や心療内科にかかれば、上記の精神障害の内一つは実際に発症しているかもしれませんし、複数の精神障害を同時に発症しているかもしれません。また、そういう精神障害に近い気質を持っているだけで、実際は健常者なのかもしれません。

個人的な意見として、病院にかかったり精神薬を飲むのは治療費もかかったり、これまで送ってきた人生が180度変わってしまうかもしれない、というような理由もあって精神的なハードルが高いので、どうしようもなくなった時の最後の手段と考えています。精神科や心療内科にかかる目安として病院の公式サイトなどでは主に「何をしても楽しめないうつ状態希死念慮がある」というものがありますが、今の所私にはそういったものもないです。

なので普段は精神障害に関連する本やブログを読んで、個人で出来る対策を講じて安定した日常を送りたいと思っています。またそれらの知識を自分で実践してみたりして、実際にこれをやって生きやすくなったな、と思うようなものがあればこのブログでも対策法として書きたい、と思っています。

ただし、私が書きたいと思っているのは私が実際にやってみて、その結果「私の場合」楽になった方法です。当然そういった方法には個人差がありますし、私は正確な診断も受けていない自称精神障害者なので、本当にその精神障害を発症している方たちからすれば完全に的外れ(それどころか逆効果)な対策かもしれません。

よって私が今後このブログに示す対策法はあくまでも「この精神障害かもしれない...けど病院に行くのは嫌だったり、行くほどでもない」という人の応急処置レベルの対処として役に立てれば、という程度のもので、それこそその精神障害が原因でうつ状態になったり希死念慮に囚われていたりするほどの重篤な状態にあるのであれば、私のような専門的に医療知識を学んでいないような人間の個人的な意見は無視して、すぐに専門の心療内科や精神科にかかるようにしてください。

また先程も言いましたが結局このような方法には個人差があるので、私の書いた方法を試して自分は楽にならなかった...というのであれば、私のやり方に固執せず他の人が回復した方法を参考にすることをおすすめします。

日々を無駄に消費するのではなく積み重ねていくという生き方

4ヶ月ほどの程よい忙しさの大学生活から2週間ほどの地獄のようなテスト&レポートの嵐を切り抜け、2ヶ月ほどの自由な休暇に入ってはや1週間。この1週間で私がやり遂げたことと言えば、

スマブラSP購入、並びに全キャラ解放のため灯火の星を最低難易度でクリア

・その片手間にPCでテスト期間中に溜まっていた特撮・アニメの消化

みたいな感じで自由に生きていたのでした。

しかしここで一つ問題が発生しまして、1週間前の記事で話した通り僕がそもそもスマブラを購入した主な理由が「対戦を通じて人と交流したい」というものなので、それを考慮するとネット対戦で人と交流する以外、つまり一人でスマブラをやる時間は無駄な時間に等しくなるということです。

これまでのスマブラはネット対戦するときに多くのキャラを増やすことによってより楽しむことができる、という名目の上でキャラを増やすために灯火の星をやっていたので、ここまでのプレイは無駄とは思えなかったのですが、キャラを全解放してしまった以上灯火の星をこれ以上やってもその点では意味はもうなくなってしまいました。

そもそもゲームというのは日々のストレスから解放されるための憩いの場、と僕は考えているわけですが、こうやって一人でゲームをする時間を何も生み出さない非生産的な時間、と考えてストレスを感じるのであれば本末転倒な訳でありまして。

そんな訳で、勿論そんな時間を全て無駄と考えないという考え方も大切ですが、これからの約2ヶ月を有意義に過ごすために、一日にあったことをその日限りの時間として消費するのではなく、一日にあったことを何らかの形で残し、明日、来週、来月、来年、そしてそのまた遠い未来へと積み重ねて繋げていく生き方をしたいという思いが生まれました。

 

そうなると必要になってくるのは、未来の為になる力になる知識や経験を増やすインプットと、それらを実際に役に立てるアウトプットです。大学に通っている内は授業でインプットが出来るので、大学に行くだけでもインプットが出来ます。特に私の場合は理系ですので、大学の授業は将来の仕事とより綿密に関わってきますし、実験では実際に装置を取り扱うなどして座学より更に質の高いインプットが出来ます。

 

しかし大学が休暇に入った今現在、インプットやアウトプットは自分から進んで行おうとしなければできません。アニメやゲームと言った楽しいのはその時限りで後にはほとんど何も残らないようなものだけで1日を終わらせて、その日の終わりに「今日という一日を無駄に過ごしてしまったな...」とストレスを感じてしまうような毎日を送らないよう、意識してインプットやアウトプットを行うことが必要になります。

まずインプット、これは簡単で、知識や経験を積んで力を付ければいいのです。定番なのはやはり読書ですが、最近はKindleなどで電子書籍が手軽に読めるようになったので紙の本よりそっちで読んでもいいと思いますし、更にYoutubeなどでは有益な情報を発信しているブロガーやYoutuberの人が多くの動画を投稿しているので、それを見て手軽に知識を身に付けるのも、インプットのとっかかりとしてはいいと思います。後筋トレなどの運動も読書のように知識を身に付けるのとは異なりますが、健康を保つことはインプットやアウトプットの効率を上げることにも影響しますし、運動も決して無駄になる行動とは言えないでしょう。

 

ただ、私もこれまで読書や筋トレの他にプログラミングの勉強など、様々なインプットをしてきましたが、アウトプットの方はそれに比べてかなり欠けた人生を送ってきました(^^;読書も多くの本を読んできましたが、その知識を読んですぐに活かせた経験はほとんどないのでその点ではアウトプットできているとは言い難いですし、プログラミングも知識は付けたもののそれで仕事まで漕ぎ着けられなかったので、アウトプットできているとは言えないでしょう。

 

よってこの2ヶ月では、主にアウトプットに重きを置いて休暇を過ごしたいと思っています。...というより、インプットは知識や力こそ身に付くもののまさしく「一人で完結する行為」であり今現在の自分の大きな悩みである「人との繋がりが希薄である」という悩みを解決することができないので、猶更アウトプットの方を大事にするべきなのですが(^^;

 

アウトプットには大きく分けて「書く」「話す・教える」「それ以外の行動をする」というものがありますが、私はアウトプットを通じて人との繋がりを構築したいので、「話す・教える」を中心にアウトプットをしたいと思っています。例えば今こうやってブログを書いて人に見せているのもまさしくそれですし、やり方を変えてYoutubeで同じように「話す・教える」ことを意識して動画を作ることもそれに当たります。

 

ということで、この2か月間はブログやSNSによるアウトプットを中心に過ごしたいと思います(勿論インプットも必要ですが)。正直今の所書いているのは自分に向けて言っているのか他人に向けて言っているのかよくわからない文章ですが、私と同じような境遇にいる人もこのブログを見て何か役に立つ知識をインプットできたのなら幸いですし、それをアウトプットしていってほしいと思います。

 

忙しさから解放された次の日には孤独に支配されたかまってちゃんの話

個人的にブログに色々と書きたい欲が出てきたので久しぶりにブログを書きました。書きたい欲、というか、構ってほしい欲、というか...

 

まず初めに私事ではありますが、ずっと「マリオメーカー2」を購入して、それ以外はずっと無料のダウンロードゲームをインストールくらいするだけになり、結局PS4購入後は放置していたSwitchを引っ張り出してきました。その理由が漸くというか何というか、今更ながら「スマブラSP」を購入したというのが理由ではあります。で更にそのスマブラSPを買ったのは何故か、と言いますと、勿論私は今までもスマブラシリーズを購入してプレイしていたことはありまして(Xと3DS)、それで面白さは担保されているというのもあるのですが、何よりかにより大きかったのは「自分の周りで一緒にゲームしている人たちが最近揃ってスマブラをやり始めた」ということでありまして...

 

ここで今回の話の主題に入るのですが、決して私は世間の流行に流されやすい、という人間ではありません。去年で言うと、半沢直樹も1話も見てませんし、鬼滅の刃もアニメがフジ系列で総集編放送するにあたってやっと見たレベルで漫画も手に取ったことはありません。そんな私が何故周りに合わせてスマブラを購入するにあたったのかと言うと、それはやはり「仲間外れになりたくない」、抽象的に言えば「孤独が辛い、一人ぼっちになるのは嫌だ」ということになるのだと思います。

私の周りにいる人たちと言うのは動画サイトでゲームの生配信をしている人たちでして、その人たちも普段は色々なゲームをしているのですが、たまに視聴者参加型で視聴者とゲームをすることもあります(僕も持っているゲームの配信の際は参加することもありました)。そして、最近になってその流行がスマブラに変わりました。勿論生配信ですのでゲーム自体を持っていなくても視聴者として参加することはできるのですが、皆がやっていることに自分は参加できないということは(自分の勝手な思い込みですが)仲間外れにされているという感覚で、疎外感、孤独感を感じずにはいられませんでした。

 

そもそもここまで孤独を嫌い、孤独に苦しむことになったのは大学に入学してからのことでした。何しろ私は大学に誇張抜きで1人も友達がおらず、その上バイトもサークルもしていない、本当にただ大学には授業を受けて就職のための知識と単位を取りに来ているだけの大学生だからです。

 

大学に入学するまでは、むしろ誰とも触れ合いたくない、という人間でした。高校まではクラスとの関わりが密接でしたし、中学では軽いながらいじめにあっていたのもあって逆に「人と関わること」が苦痛になっていました。(というか今でも密接に関わりすぎるのは苦痛になると思います)

 

せめて週1回でもいいからバイトやサークルをすればいいのでは、と思われるかもしれませんが、当時の私は(今でも思っていることとして)「人と関わるのが嫌だから不労所得で稼ぎたい、そのための行動をしたい、バイトやサークルは時間の無駄」と思っていました。バイトをしていないから自分で稼いだお金は1円もありませんし、お金はいつも必要な時に親に貰っている、という状況です。

でもバイトで稼いだこともないのに物欲は高くて、今回買ったスマブラの他にも、ゲームを実況するための器具(キャプチャーボードやマイク)や、もっといいゲームをいい環境でするためにゲーミングパソコンが欲しい、とは思っています。多分それら全てを揃えれば、30万円くらいはするのかな、と思います。

普通に考えればそれらを購入するには接客でも工場の単純作業でもいいからバイトをするべきだと思うでしょう。しかし当時の僕は「バイトなんて自分の時間を切り売りするだけの単純作業で何も身に付かない」という意見を真に受け、アフィリエイトやプログラミングというようなスキルで稼ごうとしていたのです。

しかし結局、

ブログやアフィリエイト→自分で成し遂げてきた実績も特にないので何を書けばいいのかわからない、結局アニメの感想などを書いてみるも全く続かず1円も稼げなかった

プログラミング→HTMLやCSSなど簡単なものに手を出してみるも、クラウドソーシングサイトなどで必要とされるポートフォリオの作り方が全く分からず、またレベルが上の技術を身に付けるのに挫折してしまい1円も稼げないままやめてしまう

というありさまで、結局1円も稼ぐことはできませんでした。

それどころか、私は人と関わるのが嫌だからブログやアフィリエイトのような不労所得を得られる手段や、プログラミングのように家にいてでもお金を稼げるような手段に手を出したのに、今やその自分は人と関わるためにお金を出してゲームを買うような人間にまでなってしまいました。「人と関わらず人と違ったやり方でお金を稼ぎたい」と思っていたのに、最終的に得たのは「人と違ったやり方でお金を稼ぐことは自分にはできない」ということだけでなく「人と関わろうとしない生き方自体間違った生き方」だったという自分の思ってきたこと全てを全否定するような答えでした。

 

...とはいってもそう言い切ってしまうのはやはり流石に言いすぎで、人と違ったやり方でお金を稼ぐこと自体は不可能ではないとは思うのですが、何も人生から人に話せるような実績がない私ではブログやアフィリエイトなどの情報発信で稼ぐことは相当長い道のりになるでしょうし、多くの知識や努力が必要になるとは思いますが、私にはそれを成し遂げるだけの根性がありませんでした。

また人と関わろうとしない生き方、と言っても、それは本当に全ての人間関係を絶って一人で生きようとする生き方のことで、恐らく「数人程度でいいので自分と深く親交を持って付き合える親友や恋人を作り、自分の中でストレスなく付き合える人と繋がっている最低限の人間関係が担保されている」状態で孤独になれるのなら、それは私に向いた生き方になるのだと思います。私の場合だと、ゲームやアニメや特撮、または読書などで語り合える人が親友になるのだと思います(友達は自分に似ている人にしろ、と本の知識で見に付けました)。多くの本でも「完全な孤独は喫煙や肥満と同等の健康被害をもたらす」だとか、「結婚している人の方が独身の人より幸福度が高い」という記述をよく目にします。一方で他の本やネットには「人は孤独の中で成長し、強くなる」という意見もありましたが、そういう人の話を見ると例えば大学時代はほとんど1人で過ごしていたけど大学の中やそうでなくても学外に1人や2人の親友がいる、という人達ばかりで、孤独が人を成長させると言っても結局それは最低限度自分が仲の良い人と繋がっていられる時間があるのが前提の上での一時的な孤独であって、慢性的な孤独は人を蝕み傷つけるだけなのだというのが分かりました。

 

こうして考えると、私が本当に欲しかったのは「自由」で、その自由とは結局最低限の安定が保障されているからこそ得られるものなのだと学びました。例えばフリーランスと言う働き方も、普通に企業に勤めていれば悩まされるであろうサービス残業、職場の人間関係、劣悪な労働環境...フリーランスになればそういったものとは無縁の毎日が送れると思われていますが(私も思っていた時期がありました)、それは結局、毎日を「安定して暮らせるだけの収入があれば」の話で、毎日を暮らすのに必要な収入も得られなければ、結局お金に縛られている時点で自由とは無縁の生活になってしまいますし、稼ぐために働く時間を増やすことで結果自分から残業をしにいっているようなものになってしまいます。

そういったお金の問題に悩まされることになるのは、スキルが何もなく単価の低いデータ入力やライターなどの仕事をするしかない人たちで、逆に悩まされないのは収入を安定して得られるアフィリエイトやブログを作った人たちや、プログラミングのスキルを身に付けて高単価の案件を受けられる人たちで、結局企業に就職しようがしまいが地道な努力は必要なのだということを痛感させられました。

 

本来ならこういうことはもっと早くブログに書きたかったのですが、この1ヶ月はテストや課題などをこなすために全くその余裕が無かったのと、そもそもその忙しさで孤独感なんかに構っている暇が無かった(感じにくかった)、というのもあります(^^;それがテストが終わって長期休暇に入った瞬間孤独に襲われたわけですが。

「貧乏暇なし」というお金の無い人ほど働かなければならず暇がない、という言葉もありますがお金が無いのに時間だけはあれば「貧すれば鈍する」の言葉の通りに余った時間でお金がないために楽しいこともできず悪いことを悩み続ける...ということにもなるので、どちらがいいのかは分かりかねるところです。

 

勿論、私にも時間を潰す手段は色々とあります。例えばamazon primeに加入しているので好きなアニメや映画を永遠と見ることだってできますし、kindle unlimitedに加入しているので本を読んで知識を身に付けることだってできるのです。問題はそれらの手段が全て一人で完結してしまっているが故に、誰とも接することが出来ない、つまり孤独感を解消できない(と少なくとも今の自分はそう思っている)ことです。だからこそ大金はたいて他の人と遊ぶためにゲームを買う訳で...

 

昔の自分はマリオパーティ桃鉄みたいなゲームでも他人と遊ぶ、ということは全く考えず、ずっと一人で遊んでいました。いつからこんな人と付き合わなければゲームもできない人間になってしまったのでしょうか...

恐らくゲーミングパソコンでハイクオリティなゲームをやるにしても、一人用のゲームですらそのままではやれず、ゲーム配信とかをして誰かと繋がっていないとやれないと思います(いつからかただただ時間潰しでゲームをやるだけなのは時間の無駄、と思うようになってしまったので...)

 

以上約4000文字、1月31日の午後に書き上げました。自分の今思っていることや悩みをただただ羅列しただけなので読みづらいうえにほぼほぼ自分語りになってしまっていますし(孤独に関しての解消法を期待して読んでくださった方がいたらすみません、私もまだ解消できていないです)、こんなに悩んでいるのなら受け身の姿勢で誰かがこのブログを読んでくれることを期待して書いてないでさっさと親にでもカウンセラーにでも精神科医にでも相談した方がいいのかもしれませんが、一応今の自分の思いとして忘れないために、ここに書き残しておこうと思います。

今後もしばらくは自分の悩みや意見を書くブログになるとは思いますが、今一度それを自分で書くという作業、またそれを読む作業によって新たな見方や解決策に繋がるかもしれないので続けていきたいと思います。とはいえ不安や悩みに駆られたときでないとここまで書けないので、また不定期になるとは思いますが...それでも読んでくださる方がいるなら幸いです。